水族館の夜

書きたいことを書いていきますよ。

sober

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僕はアルコールに弱い。

初めてお酒を飲んだのは8歳くらいの時で飲んだものはスーパードライだったと思う。

15歳で居酒屋デビューしてビールを飲んだ時も

同じ年に友達の通う高校の文化祭でパッチテストをしたときも

アルコールとは仲良く出来ないと思っていた。


その頃から、たぶん25歳くらいになるまでアルコールを飲むと喘息の発作が出ていた。

飲み会やなんかでみんなお酒を飲むと酔って気持ちよさそうに、楽しそうにしているので不思議だった。

もちろん中には体質的に合わない人もいるし、僕はそちら側だった。

…だった。


アルコールが身体に合わないだけでお酒の味は好きなのだ。

だから僕は少しずつ色々なお酒を飲んでみて文化や歴史を身体に染み込ませていった。

呼吸が困難になると吸入のガスをおつまみに、身体中が赤いまだら模様になるとそれをネタに自分の中でミュータントごっこを楽しんだ。

今思うととてもしんどかった。


その毒を身体に入れている感覚は分かるけどお酒の味だけを思い、世界を知ろうとした。


いつのまにか、少しずつではなくある日突然オナニーで精通したように辛い症状が出なくなった。

喘息の発作の話に少し戻るけど、走るのがダメなのだ。

10mでも走ると発作が起こるからマラソン大会など転生を繰り返して魚から人間になるんじゃないかと思うくらい自殺行為だ。

でもファックは何時間しても大丈夫なので上手いこと出来ているなぁと思う。


なんの話だっけ


そう、アルコールに打ち勝ったのだ。

ざまぁみろ。


調子にのった僕はまだ少しビビりながらもお酒を飲む量を増やし、酔うことの楽しさを見出していった。


大半が自分の足で見つけた気になるお酒を買って飲んでいたのだがさすがに効率が悪いと思い、当時住んでいた場所の近くのバーへ行ってみた。

タイミング悪くその時は貸切の営業中で店に入ると丁寧に追い出された。

営業時間外にお店の前を通ると従業員募集の張り紙が目に入った。

それから連絡をして面接。

合格の電話が来たのは確かなおき氏とあおい氏とカラオケをしているときだった。


ブログを読んでくれている人の中に何人もお店に来てくれた人がいるので当たり障りのない程度に書いていこう…。


まず必要なものはスーツ、革靴、ネクタイだった。

そんなもの誰でも持っているし面接にも着て行ったじゃないか…そう思っていた。

でも必要なのは違ったらしい。

「モテる服装」と言う名のスーツが作業着だった。

さっそく師匠に連れられて吉祥寺の紳士服店で作業着を買う。

もちろん自腹なんだけどね。

「このお金であのお酒が何本買えたんだ…」とか思っていた。


次にお酒の知識…かと思いきや接客術や会話術を叩き込まれた。

この辺の勉強会は毎月あったしネタとして凄く面白いんだけど、社外秘なので控えるよ。


そしてお酒の知識

お店にあるお酒の名前や種類を全部覚えると次にメニューにあるカクテルのレシピを覚えた。

覚えることが苦手なのでお酒の知識とお客さんの名前や顔や好みを覚えるのも大変だった。


そしてあっという間に一月が過ぎて、

僕は小型店舗の一人営業デビューをすることになった。

6店舗のグループ店で20人以上はバーテンダーが居て8年くらいの歴史があったと思う。

グループには様々な記録があって、

例えば最短昇格記録、最短一人営業デビューなんかがあった。

僕はその最短一人営業デビュー記録の1位に載ることが出来るくらい頑張ったので周りのバーテンダーからも、お客さんたちからも期待をされていた。


西荻窪にある小型店舗での一人営業

特に問題もなく終わる。

色々宣伝もしたしたくさんの人が来てくれてお酒をたくさん作った。

とにかく忙しかったけど、その忙しさでテンションを上げてお店全体に活気を持たせることが出来た。

なんだ、ちょろいじゃん。


年が明けて2月

バレンタインと誕生日はバーテンダーの人気が試される大事な日だと叩き込まれていたんだけど、バレンタインと誕生日が近い僕にはハードな月だった。

2月に入るとすぐにお祝いのお酒をみんなから貰うし9日の誕生日当日は本番だった。

一人営業は命の危険が伴うので田無の大型店舗で迎える。

ハイネケンのマグナムボトルをラッパ飲みしたところまでは覚えている。

気がつくとボックス席のソファだった。

僕は初めて記憶を飛ばした。

10日から13日までも何度も記憶を飛ばして飲み続けた。

14日のバレンタインデーにはチョコレート…味のカクテルを何杯もごちそうになった。

自分で作るんだけどさ。


それから一年が過ぎてまた2月

最短マネージャー昇格記録を取った僕は誕生日を迎えていた。

一年あっという間だったなぁと思い返しながら作るお酒以上にお酒を飲んでいた。

週に3.4回記憶を飛ばすまで飲んで営業をしていた僕は家にたどり着けず公園で目覚める常連だった。

その日は目覚めると優しくも店内であった。

優しい空調の暖かい風と反比例して冷たく鋭い先輩バーテンダーのガチお叱りと共に…。

酔っ払ってカウンター席にいた女性のお客さん全員のブラを服の上から外したらしい。

そんなもん覚えている訳がないよ。

それから付いたあだ名が「妖怪ブラ外し」


もう少しつめてお酒の話なんかを書きたかったけど、長くなってしまったのでまたの機会に。


あ、写真は最初の年のハロウィンパーティー。

自作のマスクでオペラ座の怪人だよ。

わかりやすい手抜きですね。

翌年の忍者は秋葉原ドン・キホーテにまで買いに行ったさ…。


タイトルのsoberはMUSEの曲名から。

「酔っていない」とか「シラフの」っていう意味らしい。


たまにゃお外へ飲みに行きたい年頃です。