流しの下をみろ
包丁についてとのことなので
ネタのきっかけありがとうね。
料理をするのに包丁って使うよね。
包丁は切ることが出来るのが当たり前。
そのための道具なんだし。
半永久的に切ることが出来ると思っていた僕だけど包丁もくたびれることがある。
そう知ったのは小学生の頃。
共働きの両親だったので小さい頃から母の料理を手伝っていた。
何がきっかけだったのかは思い出せないけど、とにかく料理のきっかけは母だ。
料理をし始めてすぐくらい小学校低学年の時、児童館の調理室でも料理をしたりしていた。
この頃から今でも後片付けが苦手で、ちゃんと後片付けをしなかった為、7歳にして調理室を出禁になった。
学童クラブから家に帰っても母が帰るまでは家に一人だった。
そんなある日のこと。
僕はものすごくお腹がへっていたので何かを作ろうと考えた。
一人で包丁を使ってはいけないと言われていたのでお米を炊いて食べようと思い立った。
炊飯器、それは7歳の僕にはゲームボーイを起動させる事よりも遥かに難しくて大変なことだった。
お米と水に熱を加えるとご飯が炊けるということだけは知っていた。
そして僕がとった行動はというと口に生の米を頬張り炊けるのを待った。
これで炊きたてのご飯がゼロ距離で食べられると思ったのだから恐ろしい。
もっと恐ろしいことに口いっぱいの生の米は待てど暮らせどご飯にならないということ。
口の中の耐久度のほうがゼロになり吐き出した。
僕は泣いた。
また別の日
口の中ではご飯が炊けないと悟った僕はお味噌汁を作る事を思いついた。
それには包丁よりもハイレベルなコンロを使うというハードルがあったのだけれど、言いつけを守っていては空腹で死んでしまうと思い、鍋に水をはり火にかけた。
沸騰して水はお湯となりあとは味噌を入れるだけで生き延びることが出来ると思った。
味噌を入れて興奮気味の僕は出来たものを飲む。
確かに味噌味の汁だけど何が違う。
7歳の僕、出しの存在に気がつく。
僕はわらった。
それから十数年後。
ハワイアンカフェの厨房で働き始めた僕はご飯を炊くことも、出汁の味がするお味噌汁を作ることも出来るようになっていた。
始めてすぐくらいだったと思う。
シェフが営業後に包丁を砥石で研いでいた。
母も包丁を研いでいたけれど砥石では無くもっとふんわりした感じの研ぎ器だった。
目の前で包丁を研ぐシェフの姿に釘付けになった。
「順もやってみるか?」
そう言われた僕は料理の新しい世界に飛び込めると思った。
お店にある包丁を練習台に研ぎ方を教わる。
ぎごちなく研いでいくと包丁の切れ味がシャープになると共に自分の料理スキルもシャープになっていくと想像した。
その日の勤務が終わると帰り道に砥石を買って家の包丁でも練習をした。
中々思うようにはいかず、包丁の鋭さとは反比例して僕の指先は砥石で削られて出血を始めた。
血の滲むような努力とはこの事なんだなと僕は思った。
今自分で主に使っているのはペティナイフ
友達に誕生日プレゼントにもらった鋼の包丁
家内の万能包丁、大きめの包丁。
包丁はざっくり言うと二種類ある。
片刃の和包丁と両刃の包丁。
自分のペティナイフは両刃だったけど、左利き用に片刃になるまで研いで育てた。
片刃にした方が後で研ぐときに楽だし、何より自分だけの特別感があるからだ。
鋼の包丁はメンテナンスが大変なので滅多に使わない。
しかも右利き用の和包丁なので左利き用にするまで時間がかかった。
僕はプロの料理人でも包丁を研ぐ職人でもないけれどこれだけは言いたい。
研いで切れ味が回復した包丁で切るトマトは病みつきになるよ?