水族館の夜

書きたいことを書いていきますよ。

家庭崩壊

f:id:cibo29:20160216225734j:plain


2014年のまだちょっと暑さの残る頃

寝不足の僕、イライラしている家内、首のすわらない匠さんは買い出しに出ていた。

鳥貴族やミスタードーナツがある通りだったと思う。

「離婚するかぁ?」イライラしている家内はそう言った。

「そうだね。」僕は答えた。

晩御飯の相談みたいな流れで終わりが始まった。


どうしてそうなったのか

僕が首がすわる頃にまで戻ってみよう。

大阪に生まれた僕は父方の祖父の膝の上でテレビを一緒に見ていた。

僕の最古の記憶だ。

父は色々な人と仲が良かったし、同じくらい色々な人と仲が悪かった。

父は父方の祖父とも、母方の祖父(コウイチさん)とも仲が悪かった。

父方の祖母は早くに亡くなり、祖父も僕の最古の次の記憶では亡くなっていた。


3歳になる頃松本に一年くらい住み、東京に越してきた。

大人の事情など今でもさっぱり分からないのだけど東京では母、妹、母方の祖父母と一緒に団地に住んでいた。

父はというと団地から見える場所にいたり、北海道に居たりした。

時折僕らが居る場所に来た父はコウイチさんに対して何か怒鳴り散らしていたりした。

そんな時僕、母、妹は奥の部屋で耳を塞いだり折り紙を折っていた。


7歳になる頃祖父母とは離れ、父が加わりマンションに住んだ。


それから札幌時代やらを経て20年が過ぎた27歳。

思えばこの20年の間にも母はずっと耐えてきたのだと思う。

最近聞いた話では、母は僕や妹を置いて家出もしようとしたらしい。

置手紙も書いて家を出たけど置手紙を誰にも見られることの無いまま戻ってきた。

27歳。

僕はバーテンダーをしていてお店のお客さんとして家内と知り合った。

僕らはお互いに惹かれあっていたし年齢的なものもあり、親孝行なんてのも意識していて翌年の28歳には結婚をしていた。

全てのスタートだと予感していたし、父のようにはなるまいと自分なりの幸せな家庭を思い描いていたのである。


そんなキラキラしたビジョンも数ヶ月でくすんでいくことになる。

ある日、家内が飲み会から帰る途中、帰宅予定より遅いことがあった。

帰るまでのメールのやりとりに違和感を感じた僕は家に鍵をかけてCIBOと映画を観ていた。

鍵を忘れた家内は何やら家の前でわめき散らしていたが放置していた。

静かになると「死んでやる」とのメールが来る。

大袈裟だと思いつつも死なれても困るので鍵を開ける。

どうして遅くなったかの質問をするだけの予定だったのだがお互いにヒートアップして口論に。

色々とボロが出てくる。

家内は浮気をしていて、それも初めてではなかったようだ。

相手は結婚式にも招待をした身近な人だった。

僕はキラキラしたビジョンの継続のため受け入れて耐えることにした。


フェーズ1.顔面神経痛

キラキラしたビジョンの継続のためとはいえ、毎度毎度飲み会で遅くなる家内に対して少しずつストレスがたまっていった。


フェーズ2.十二指腸潰瘍

耐えていた。

その日も帰宅が遅くなり、というか連絡がつかないので朝まで待っていた。

朝になると連絡がありホテルに泊まっていたらしい。

サシ飲みで熱くなったらしい。

そんな話を聞かされた。

その人もまた結婚式に招待をした別の人だ。


フェーズ3.睡眠障害

耐えていた。

ナイスガイの僕は復習のため浮気や不倫をするのはナンセンスだと思った。


そして匠さんが授かる。

授かるという言葉が一番正しい。

正直今でも父親が誰なのかわからない。

法律上、生物学上、父親は僕なのかも知れないけどわからない。

だから今でも僕は匠さんに対して

「お父さんだよ」とは一度も言ったことが無いし認めたこともない。

それでも家内の子供には違いがないので食事やなんかの面倒は見る。

匠さんは客観的に見てもルックスはイイし僕に懐いてくれるイイ人だ。


でも僕らの、僕のせいでそれも続かなくなってしまった。


だいぶ話が長くなってしまったがそういう事なのだ。

ちょうど一年前くらいに離婚を二人で決めて今に至る。

直ぐに離婚など出来るはずもなく家内には

「友達みたいな関係でしばらく暮らそう」と言われた。

友達としても糞食らえだと思うくらいにまで僕の心は荒んでいた。


そして匠さんの保育園への入園。

先生たちからも周りの親御さんたちからも

「匠くんのお父さん」と呼ばれモヤモヤする。


今年の3月までには離婚をする予定であったのだが、家の更新までしてしまっている。

今年こそは


そう今年こそはなのである。


これが僕が一番話したかった話であり

みんなが見たかった話。


お世辞にも未来は明るいとは言えないけれど「明日はきっと良くなる」と願いこれからのCIBOとの生活を今日も夢見ている。