我が名は役者
中学生の頃に読んだ映画雑誌
ヒートの公開でアルパチーノが出ていたんだけど
写真に「我が名は役者」と書かれていた。
今でもよく分からない。
そんな中学生時代に僕はXファイルに出会った。
世にも奇妙な物語と共に成長した小学生の僕にはまさに運命的出会いだった。
とにかくそのテンポの良さだったり豊富なオカルトネタにどんどんハマっていく。
主人公のモルダーに憧れて学校にひまわりの種を持って行って食べていたのも懐かしい。
脚本のクリスカーターがひまわりの種が大好きで、作中のモルダーもひまわりの種を食べるシーンがたびたび出てきたからだ。
出会って4年後にはFBI本部に行くくらいハマったのだ。
中学3年生の時セブンを見に行った。
ここでフィンチャー監督とブラッドピットの良さを知る。
ブラッドピットは今でも一番好きな俳優だよ。
ブラッドピットの出る映画は片っ端から見た。
特にカリフォルニアはモルダー役のデビッドドゥカブニーもジュリエットルイスも出ていたのでビデオを買って何度も見た。
ファイトクラブの公開
好きな映画は?と聞かれるとまず最初にこれをあげる。
作中のブラッドピットは主人公の理想像。
僕もまたその姿に憧れた。
古着屋さんでブラッドピットがファイトクラブで着ているようなレザージャケットを探して買い、愛用した。
単純なのだ。
大きくなったらブラッドピットかマシューベラミーになりたいな。
そうそう、もう一つの理想像は祖父のコウイチさん。
彼もまたかっこいい。
死んじゃってから色々な事に気がつくなんてね。
fillip
梅酒(なるべく透明なもの) 30ml
桜リキュール 10ml
クランベリージュース 30ml
シェイク
梅のイメージは2月
桜のイメージは4月
その間だから3月のイメージ
名前はfillip
MUSEの曲名から取ったんだけど
fillipとは指で弾く、刺激するなどの意味があるらしい。
春のイメージにぴったりだと思ってつけた。
やや甘めで爽やかな香りと酸味
バランスはいいと思う。
僕のいたバーのグループは毎月色々なイベントを企画していた。
その中でバレンタインにはオリジナルカクテルコンテストというものがあり、バーテンダーたちが考えたオリジナルをお客さんの投票で選び、最も人気が高かったものがメニューに載る。
初めて参加したときに考えたオリジナルカクテル。
もちろん初戦敗退だよ。
言わせるな、恥ずかしい。
味には絶対的な自信があったけど、バーテンダー個人の人気の低さとプレゼンの仕方が下手くそだから負けたんだよ。
と、言いたいくらい悔しい。
2回目コンテストは
ライウイスキー 20ml
ヘーゼルナッツリキュール 10ml
ライムジュース 10ml
シェイクしてジンジャーエールでアップ
名前は「ライ麦畑でつかまえて」
結果は言わせるな、恥ずかしい。
リキュールは面白い。
お酒になんか添付したらそれはもうリキュール。
代表的なリキュールは梅酒。
梅酒の面白さって自分で作ってみて知ったよ。
ホワイトリカーはもちろんイモ焼酎で漬けてみたり、氷砂糖の量なんか調節するだけでも面白い。
好きなリキュールのジャンルは薬草系なんだけど、これは好きな人は好きだけど苦手な人の方が多いからね。
イエーガーマイスターから入って
複雑な味わいで身体に染み込んでいく感じがたまらない。
ほんと、風味や味はとんでもないものが多いんだけどさ。
オリジナルカクテルを作る時も積極的にリキュールを使う。
風味や色合いはもちろんのこと、そのリキュールのもつ世界観からまずは妄想を広げていって…。
少しずつまたリキュールも揃えていきたいな。
sober
僕はアルコールに弱い。
初めてお酒を飲んだのは8歳くらいの時で飲んだものはスーパードライだったと思う。
15歳で居酒屋デビューしてビールを飲んだ時も
同じ年に友達の通う高校の文化祭でパッチテストをしたときも
アルコールとは仲良く出来ないと思っていた。
その頃から、たぶん25歳くらいになるまでアルコールを飲むと喘息の発作が出ていた。
飲み会やなんかでみんなお酒を飲むと酔って気持ちよさそうに、楽しそうにしているので不思議だった。
もちろん中には体質的に合わない人もいるし、僕はそちら側だった。
…だった。
アルコールが身体に合わないだけでお酒の味は好きなのだ。
だから僕は少しずつ色々なお酒を飲んでみて文化や歴史を身体に染み込ませていった。
呼吸が困難になると吸入のガスをおつまみに、身体中が赤いまだら模様になるとそれをネタに自分の中でミュータントごっこを楽しんだ。
今思うととてもしんどかった。
その毒を身体に入れている感覚は分かるけどお酒の味だけを思い、世界を知ろうとした。
いつのまにか、少しずつではなくある日突然オナニーで精通したように辛い症状が出なくなった。
喘息の発作の話に少し戻るけど、走るのがダメなのだ。
10mでも走ると発作が起こるからマラソン大会など転生を繰り返して魚から人間になるんじゃないかと思うくらい自殺行為だ。
でもファックは何時間しても大丈夫なので上手いこと出来ているなぁと思う。
なんの話だっけ
そう、アルコールに打ち勝ったのだ。
ざまぁみろ。
調子にのった僕はまだ少しビビりながらもお酒を飲む量を増やし、酔うことの楽しさを見出していった。
大半が自分の足で見つけた気になるお酒を買って飲んでいたのだがさすがに効率が悪いと思い、当時住んでいた場所の近くのバーへ行ってみた。
タイミング悪くその時は貸切の営業中で店に入ると丁寧に追い出された。
営業時間外にお店の前を通ると従業員募集の張り紙が目に入った。
それから連絡をして面接。
合格の電話が来たのは確かなおき氏とあおい氏とカラオケをしているときだった。
ブログを読んでくれている人の中に何人もお店に来てくれた人がいるので当たり障りのない程度に書いていこう…。
まず必要なものはスーツ、革靴、ネクタイだった。
そんなもの誰でも持っているし面接にも着て行ったじゃないか…そう思っていた。
でも必要なのは違ったらしい。
「モテる服装」と言う名のスーツが作業着だった。
さっそく師匠に連れられて吉祥寺の紳士服店で作業着を買う。
もちろん自腹なんだけどね。
「このお金であのお酒が何本買えたんだ…」とか思っていた。
次にお酒の知識…かと思いきや接客術や会話術を叩き込まれた。
この辺の勉強会は毎月あったしネタとして凄く面白いんだけど、社外秘なので控えるよ。
そしてお酒の知識
お店にあるお酒の名前や種類を全部覚えると次にメニューにあるカクテルのレシピを覚えた。
覚えることが苦手なのでお酒の知識とお客さんの名前や顔や好みを覚えるのも大変だった。
そしてあっという間に一月が過ぎて、
僕は小型店舗の一人営業デビューをすることになった。
6店舗のグループ店で20人以上はバーテンダーが居て8年くらいの歴史があったと思う。
グループには様々な記録があって、
例えば最短昇格記録、最短一人営業デビューなんかがあった。
僕はその最短一人営業デビュー記録の1位に載ることが出来るくらい頑張ったので周りのバーテンダーからも、お客さんたちからも期待をされていた。
西荻窪にある小型店舗での一人営業
特に問題もなく終わる。
色々宣伝もしたしたくさんの人が来てくれてお酒をたくさん作った。
とにかく忙しかったけど、その忙しさでテンションを上げてお店全体に活気を持たせることが出来た。
なんだ、ちょろいじゃん。
年が明けて2月
バレンタインと誕生日はバーテンダーの人気が試される大事な日だと叩き込まれていたんだけど、バレンタインと誕生日が近い僕にはハードな月だった。
2月に入るとすぐにお祝いのお酒をみんなから貰うし9日の誕生日当日は本番だった。
一人営業は命の危険が伴うので田無の大型店舗で迎える。
ハイネケンのマグナムボトルをラッパ飲みしたところまでは覚えている。
気がつくとボックス席のソファだった。
僕は初めて記憶を飛ばした。
10日から13日までも何度も記憶を飛ばして飲み続けた。
14日のバレンタインデーにはチョコレート…味のカクテルを何杯もごちそうになった。
自分で作るんだけどさ。
それから一年が過ぎてまた2月
最短マネージャー昇格記録を取った僕は誕生日を迎えていた。
一年あっという間だったなぁと思い返しながら作るお酒以上にお酒を飲んでいた。
週に3.4回記憶を飛ばすまで飲んで営業をしていた僕は家にたどり着けず公園で目覚める常連だった。
その日は目覚めると優しくも店内であった。
優しい空調の暖かい風と反比例して冷たく鋭い先輩バーテンダーのガチお叱りと共に…。
酔っ払ってカウンター席にいた女性のお客さん全員のブラを服の上から外したらしい。
そんなもん覚えている訳がないよ。
それから付いたあだ名が「妖怪ブラ外し」
もう少しつめてお酒の話なんかを書きたかったけど、長くなってしまったのでまたの機会に。
あ、写真は最初の年のハロウィンパーティー。
自作のマスクでオペラ座の怪人だよ。
わかりやすい手抜きですね。
タイトルのsoberはMUSEの曲名から。
「酔っていない」とか「シラフの」っていう意味らしい。
たまにゃお外へ飲みに行きたい年頃です。
映画に会いに
昔からよく父に連れられて2人で旅行をした。
というのも、自分の意思ではなく父の勝手だからだ。
父との最古の旅行の記憶は何処かの海辺の民宿。
皿いっぱいのシャコが今でも目に浮かぶ。
たぶんこの時から割と最近までシャコが苦手だったのだと思う。
13歳の春休み、父は海外旅行へ行こうと言った。
僕は初めての海外だったし、場所もロサンゼルスに決められていた。
母も妹も旅行、というか乗り物が苦手なので2人で行くことに。
僕も飛行機は苦手なんだけどさ。
ここからの記憶は少しごちゃごちゃになっているところがある。
それは、13歳の春休みと15歳の春休み両方ロサンゼルスへ行っているからである。
13歳と15歳なんて工藤兄弟くらい違いが分からないので思い出せないこともある。
とにかくロサンゼルスへ行くために僕らは飛行機に乗った。
とにかく長い時間に感じた。
飛行機の中では当時映画館で上映中のフォレストガンプを見た記憶がある。
確かその時、飛行機はエアポケットに入り機体は大きく揺れ、テーブルの上のコップは飲み物ごと何処かへ飛んで行ってしまった。
フォレストガンプどころでは無かった。
アウターリミッツかトワイライトゾーンの話の中で、飛行機が苦手な男の話があった。
その男は飛行機が飛んでいる間、窓から見える翼に悪魔がいると言う。
悪魔は少しずつ飛行機の翼を剥がしてボロボロにしていくのだ。
飛行機から降ろしてくれと言って暴れても男は客室乗務員になだめられるだけ。
僕はその話を思い出していた。
するととても怖くなったので、トムハンクスが翼の上にいる所を想像して始めて神に祈った。
当たり前だけど翼は綺麗なままロサンゼルスに到着をした。
ロサンゼルスからの出来事はごちゃごちゃに覚えているところを。
ユニバーサルスタジオ
今じゃ日本にもあるけど未だに日本のは行ったことないんだよね。
いつか映画好きな人とデートで行ってみたいもんです。
ユニバーサルスタジオに訪れたときも
いつか女性と付き合ってこういうところでデートをしてみたいと思っていた。
当時、梅宮アンナが好きだったんだけど
一緒にユニバーサルスタジオに行って人はどう足掻いても梅宮辰夫みたいな父だったよ。
とにかく映画を色々見ていたのでこの場所はワクワクが止まらなかった。
ディズニーランド
日本のそれとは違う似たような場所。
泊まったホテル
エスケープフロムLAとかニックオブタイムでも出ていた外観が特徴的なホテル。
最上階のバーでバーデビューを果たした。
グランドキャニオン
ロサンゼルスから小さいプロペラ機で移動。
距離を分かりやすく言うと東京から青森間くらい。
ユニバーサルスタジオを見た後なので広大な自然もひとつのアトラクションに見えた。
雪の残るその場所はあまりにも広く、大げさな気がした。
サンディエゴ&ティファナ
車でどんどん南下してメキシコへ
サンディエゴは大人になった今また行ってみたい場所。
メキシコのティファナは色々刺激が強かった。
明らかにロバだろうという生き物はモノトーンのシマシマに塗られていてチープなシマウマにされていた。
ぱちもんのブランド物の鞄やぱちもんのプーさんの置物がたくさんあった。
ストリートチルドレンに囲まれた。
パトカーの墓場があった。
そんな2回の海外旅行。
ひとつ思い出したんだけど
ロサンゼルスとかあの辺りって滅多に雨が降らないらしいね。
だから映画の撮影に適していて栄えたとか。
年に3回くらいしか降らないらしいんだけど、僕は雨男なのでちゃんと雨にも会えたよ。
QK
「夏目漱石と誕生日が一緒なのに
生まれた時代が違うだけで僕はどうしてこんななんだろう。」
とか割とマジに考えていた僕だよ。
こんばんは。
ブログを作ってみて闇の部分を書いていこうと思っていたんだけど、本当の闇の部分は書かないほうがイイ気がして、ここは自伝的記憶の整理棚という感じになったよ。
一番驚いたのがリアクションがあったこと。
ちょいちょい色々な形で見てくれている人たちから感想を頂きます。
泣いた、何度も読んだ、感受性について、文章力とかとか。
嬉しいよね。
いいぞもっとやれ。
僕は文章を書いたりするのはどちらかというと好きになりました。
というのも僕は小学校2年生で漢字を覚えるのは無理と悟り国語を諦めました。
来るもの拒まず去るもの追わずがモットーなので漢字テストや作文なんてクソ食らえなワケですよ。
でも、文章に興味を持ち始めたきっかけは映画だった。
父とよく映画館やビデオで観る映画はホラーやSFが中心なんだけどセリフや演出、編集などを気にし始めると原作の小説に興味を持ち始めた。
それから古本屋さんで好きな映画の原作の小説を探して読んだりした。
特にスティーブン・キングは映画の原作として常連なので色々読んだと思う。
「なんだ、文章って意外と面白いやつじゃん。」
昔から集中力があまり無い僕は長編の小説を読むのにとても体力を使った。
「続きが気になる!」と思う前に閉じてしまうのだ。
映画やゲームは何故か別なんだけど、TVのチャンネルはコロコロ変えてしまうくらいなのでオムニバス形式のドラマや短編小説を特に好んだ。
7歳くらいだったかな。
世にも奇妙な物語がTVで始まると毎晩見ていた。
第1話から放送最後の日まで毎週かかさず。
来週から僕たちのドラマシリーズが始まります!と最終回を告げられたときはしばらくショックだった。
その数年後にビデオレンタルでX-FILEがリリースされると僕はすっかり虜になってしまった。
さらに数年後には村上春樹、小松左京と出会い色々短編小説を読んだ。
最近ではほとんど小説を読まない。
好きなものを何度も読んだりもしなくなってしまった。
映画は相変わらず見る。
年間平均100本くらいだけど見たことのある作品を何度も見ることの方が多い。
映画の話はまたいつかたっぷり整理棚にしまおう。
刺青物語
中学生の時にグリーデイと出会って洋楽ばかり聴いていた僕はミュージシャンの風貌に憧れて、いつか刺青を入れることが当たり前だと思っていた。
高校に入る頃にはその気持ちが益々強くなり刺青を入れるにはどうしたら良いか調べてみた。
刺青を入れるスタジオは都内にたくさんあり、たいがいが20歳以上からとなっていた。
その中で高円寺にあるところが18歳からとなっていたのでそこにしようと考えた。
高校3年生の三学期をほとんど札幌で過ごした僕は卒業式に出るために東京へ戻った。
18歳からという条件に加え親の同意書が必要だったのでそこは母親に書いてもらい予約をした。
予約をしてからは入れる場所やデザインの打ち合わせをメールでやりとりしていた。
デザインに関しては自分の誕生日である「29」は外せなかったので、数字の周りの装飾を含め自分でまずは描いてみた。
イメージの画像をFAXで送ると「細かすぎる」と早速ダメ出しをされて少しばかりがっかりしたのを覚えている。
予約当日
電話で場所を聞いてそれをメモに地図を書いて向かう。
駅から10分くらい住宅地をさまよい到着した。
想像と違いそこは一軒家で受付の人だと思っていた人が刺青を入れてくれる人だった。
その人が女性だったため安心する。
少し話をして腕に入れることにしたので上着を脱ぎベッドへ横になる。
色は単色黒のみ
施術は1時間もかからなかったかも知れない。
入れている間僕の頭の中ではグリーデイの曲が流れていたけど、部屋ではずっとブライアンセッツァーオーケストラが流れていた。
痛いと言えば痛い
でも「これなら耐えらるな」というくらい。
どちらかと言うとムズムズ痒い腕を気にしながら帰宅する。
分かりづらいかも知れないけど刺青は献血やジャンクフードに似ている。
ある日ふと思い出してまた入れたくなるのだ。
そのある日というのはやはり転換期である20歳の時で僕は原宿にいた。
最近献血していないな、とか
最近ハンバーガーを食べていないな、くらいの気持ちで急に刺青を増やしたくなった。
竹下通りに入ってすぐの場所にスタジオの看板を見つけたのでそこに入る。
一階がマクドナルドなので衝動的な建物だ。
あまり時間もないのですぐにデザインを花に決めて、指に入れてもらい、3000円を払って出た。
きっとマクドナルドでゆっくりハンバーガーを食べるより速かったかも知れない。
3つ目
15歳で神戸の魅力を知った僕は仕事やプライベートでもよく関西へ行き神戸、大阪、京都をフラフラしていた。
その日はアメリカ村にいる時にスイッチが入った。
どこかのビルのどこかの部屋。
マンションの一室に入りデザインを決める。
若いお兄さんと話をして左胸のあたりに蜘蛛を入れることに。
そこまで決まると若いお兄さんは奥に行き誰かに話しかけて呼んでいるようだった。
そして奥からは「職人さんかな?」と思うようなおじいさんが出てきた。
あ、この人が入れるんだ。
「きっと凄い腕の持ち主なんだ」と思うしかなく身を任せた。
おじいさんの手は笑ってはいけないくらいプルプルと震えており完成した蜘蛛はどこか下手くそだった。
4つ目
アメリカ村の観光中にスタジオを見つけて
手首に蝶を入れてもらう
初めてのカラーで場所も大きなところだったのでこの時のが一番金額が高かった。
5つ目
吉祥寺で入れてみたいなと思い立って
腕の29の下にBLISSと入れた。
MUSEの曲名を入れたくて、思いついたのがBLISSだった。
6つ目
友達たちと渋谷のダーツバーで盛り上がったあと酔った勢いで指に入れる。
デザインはその場に居合わせた友達にお化けモチーフで、と描いてもらいそのまま入れた。
とても気に入ったデザイン。
それから5年後
家庭の事情というやつで指と腕の刺青は皮膚の手術により消えることに。
衝動に耐えて、今はまた増やすことだけを考えている。
まもなくマウラへ到着します
オンラインゲームの話ですよ。
札幌から戻った20歳の僕にはどうしても始めたいことがあった。
札幌で彼女といる時にそのゲームを知り、その時から実はゲームの事で頭がいっぱいだった。
FF11というオンラインゲームを始めるには色々と大変であると知る。
必要なものはPS2、BBユニット(だっけ?)、それとネット環境。
これは札幌に居たらどれも条件を満たせなかったであろう。
ということでフラれて東京の実家に戻った僕は新しいスタートを切ることになる。
多分順番的には前の話にも書いた0泊7日から戻ったくらいかその前くらい。
実家なのでネット環境とPS2はなんなくクリアしたので残すはBBユニットだ。
ネットで予約をしたので到着を待つ。
FF11サービス開始から2.3週間くらい遅れて僕もスタートする。
ネトゲというものはこのスタートダッシュが重要なのだ。
色々な種族からとりあえず当たり障りのない普通の人間の♂で始める。
色々やってみたいので赤魔道士を選ぶ。
サービス開始すぐってことで不具合やらメンテと戦いながらのログイン。
初めてから一週間がたった。
街中でもフィールドでもその辺にいる人みんながプレイヤーという新鮮さ
しかしどうコミニケーションをとったらいいものかわからなかった。
当時最弱だったと思う赤魔道士で地味に毎日レベル上げをする日々。
文章にすると苦行でしかないけどこれが楽しかった。
コツコツとお金を貯めて装備でも新調しようかと考えていた頃。
まだ競売がないので高い値段で店売りのを買うか自分で作るかくらいしかなかった。
赤魔道士で装備できるその時の最強の片手剣、ビースパタがどうしても欲しくて作るために錬金術のギルドへ向かった。
そこではみんな何かしら錬金術の作成をしていた。
自作するにもさっぱりわからなかった僕は、作成をしている人に片っ端から声をかけた。
その中の一人がビースパタを作れるらしいのでお願いをした。
「材料を集めてきてくれれば作るよ」と言われたので蜜蝋の材料の蜂の巣を集めるためにひたすら蜂をしばき倒す僕。
材料が集まりさっそく作ってもらう。
憧れの武器ビースパタ。
これを手にした時からますますオンラインゲームへハマっていった。
それからまた一週間後。
上げ始めた錬金術もビースパタを作れるようになり、僕よりも初心者を見かけると声をかけてポーションや武器を作ってプレゼントをしていた。
寝る時はそれらのアイテムを販売しながら放置をしていた。
程なくして競売が実装される。
これはFF14でいうマーケットで、プレイヤーが楽に売買をできるシステムだ。
プレイヤーの姿が見えないので少し寂しいけどその便利さゆえみんな使うのが当たり前に。
街周辺から離れてサポートジョブのクエストを受けるためセルビナへ向かう。
移動手段が徒歩しかないし、アクティブな敵に見つかれば逃げることも困難で殺されてしまう世界。
なんだかんだでバストゥークからセルビナまで移動するのにリアル1日か2日かかってしまった。
セルビナは初心者から少し慣れてきた人々で溢れかえっていた。
サポートジョブ取得のクエストを受けようと思っていたが、こんなに人数がいると大変だと思い同じクエストが受けられるマウラへ行こうと予定を変更した。
そういえばこの頃くらいにその辺で声をかけられた人と仲良くなってLSをもらった。
どこにいてもチャットが出来るメンバー。
リアルの話もしたりして楽しかった。
その辺で戦っている人たちもみんな中身は生身の人間
不思議な感覚。
セルビナからマウラへの移動は船。
船の到着時間や移動時間。
今となっては面倒なだけだけど僕はこの旅行をしている感じが楽しかった。
移り変わる景色や時間。
まもなくマウラへ到着します。