水族館の夜

書きたいことを書いていきますよ。

コウイチさん

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忘れないように祖父の話をしよう。

僕は昔からおじいちゃん子だった。

そう言い切れるくらいおじいちゃん子だった。


これは祖父の死後、母から断片的に聞いた話なのだけど母方の祖父であるコウイチさんは秋田出身らしい。

僕の肌が東京都指定のゴミ袋くらい白いのは祖父の影響だと思っている。

僕は「ハーフですか?」とよく聞かれるので

「祖父がノルウェー出身で、サーモンの漁師をしていたんですよ。」というとだいたいの人が間に受けるから困る。


コウイチさんごめん。

そう、秋田出身で父親が小学校だかの校長だったらしい。

許嫁みたいな人がいたけど、嫌で東京に逃げてきたらしい。


そしてバリバリ江戸っ子、深川出身の祖母と結婚。

馴れ初めとかは不明。

とにかくそれで吉祥寺出身の母が誕生して、大阪出身の父親と結婚して僕が誕生する。

東京と大阪のハーフだと言ったでしょう?


コウイチさんの話に戻る。

コウイチさんの特徴を言うとまず左利きでO型だ。

両親も妹にも左利きやO型はいない。

コウイチさんは控え目な性格でお茶目である。

姉さん女房の祖母にはあまり言いたい事を言えない。

作ってもらったお味噌汁が濃いと感じた時、無言でコッソリとポットのお湯でうめているのを見てしまった。

軍人で戦車乗り、中尉だったので軽い戦争ジョークを使う。

トイレに行く時は「ちょっと爆弾落としてくる」と言っていた。

戦車何処いった?


軍人だったコウイチさんはよく戦時中の話をしてくれた。

シベリアの強制労働への連行。

よく聞く話だが信じられないくらい過酷な環境。

真っ暗闇の中採掘をさせられた。

素っ裸で放り出された。

そんな話を色々してくれたのだけど中でも印象に残っているのが

凍ってしまった燃料を火にかけて溶かす話。

極寒の真夜中に凍って使えない燃料を火にかけて溶かすとなんとも言えない綺麗な色の炎が見えるらしい。

さっぱり意味がわからないけどコウイチさんはこれを凄く楽しそうに嬉しそうに話していた。

戦争という重いテーマを極厚のオブラートに包んでくれる優しさだと思っていた。


そう、コウイチさんは優しい。

何処で調べたのかわからないけどインドカレーのお店を調べてくれて小学生の僕をよく吉祥寺のお店に連れて行ってくれた。

家から自転車で20分くらいの距離。

僕を退屈させないようにと知っている歌を歌ってくれるのだけど歌える曲は軍歌ばかり。

時は流れて僕が自炊を始めて慣れてきた頃、コウイチさんが好きだと言っていた親子丼をふるまった。

「たまひでの親子丼より美味しいよ!大したもんだ!」と言ってくれた。

「大したもんだ!」が口癖なんだよね。


僕が知っているコウイチさんの職業は

大工、一級建築士、観光ガイドのおじいちゃん。

実は匠という名前をつけた大半の理由はコウイチさんからなのである。

建築物が大好きでいつかスペインに行ってガウディの建築物を一緒に見たいと言いながらガウディの作品の写真集をよく見せてくれた。

小学生の頃にヒヨコを飼い始めた僕の為に一緒に鳥小屋を作ってくれた事もあった。

ヒヨコの名前はチョコボで、チョコボは大きくなると脱走して何処かへ行った。

空っぽになったチョコボ小屋はしばらくそのままにしていた。


観光ガイドのおじいちゃんというのは僕もこれは謎なんだけど、ボランティアで京都とかの建築物のガイドをしていたらしい。

本当に建築物が大好きで自作のガイドブックも作っていた。

ある意味同人作家でもある。

中学生の頃、修学旅行で行く京都についてレポートを書かないといけなかったのだけど、コウイチさんに相談をして京都にある水路について書く事にした。

相談したらあんなに喜んじゃうんだもんな。


それから10年以上が過ぎ、

凛々しくて浅黒くて男らしいコウイチさんは病院で寝ていた。

もう自転車で一緒に遊びに行くことどころか歩けないような状態だった。

日に日に身体も頭も衰えていくコウイチさんを見るのがとても辛かった。

しゃべる事が出来なくなると僕はよく筆談をした。

もうボケボケで手もプルプルしているコウイチさんとある日行った筆談。

僕「じいじ、今何処に居るかわかる?」

コウイチさん「HOME」

ここは病院だし、なんで英語なんだよ。


それから数年が過ぎた12月18日

コウイチさんは死んでしまった。

病院で、夜中に、僕らに見守られながら。

元気な姿から亡くなったのではなく、段階を踏んで徐々に魂が抜けていって最後の21gが抜けていったような感じだった。

だからなんとなくだけど、悲しいという気持ちにはなれなかった。

「あー、死んじゃったんだ。今までありがとう。」

そんな感じだった。

言葉にすると凄く冷たく感じるよね。


12月18日

自分の結婚記念日に亡くなったコウイチさん。


これを書いている今、初めてコウイチさんに対して涙を流している。

一緒に過ごした日々は楽しくて、もしかしたらコウイチさんは僕の泣いている姿なんて見たことないかもしれない。


コウイチさん、貴方こそ大したもんだ!